鶏口牛後な日々

心の赴くまま、やりたいことを仕事に。

伊藤計劃トリビュート2 / 小川哲ほか

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結論:この本全体が、小川哲さんを持ち上げ、「ゲームの王国」へ人を流し込む口として作られたように感じた。 そして本の趣旨であるし当然ではあるが、比較しつつ思い出すことで伊藤計劃さんのすごさが再認識された。


小川哲「ゲームの王国」が面白いらしい、と伝聞調のコメントを友人から伝聞され、地域の図書館で調べて見たら、この「伊藤計劃トリビュート2」ならすぐ借りられそうだったので借りてみた。 伊藤計劃さんの本は出版されているものは全部読んだ。できることならもっと読みたかった。

ただ、この本を借りてみて分かったのは、この本に載っている「ゲームの王国」は、本編の一部(最初の300ページ?)かもしくは本編が始まる前のエピローグのような位置づけの書き下ろしらしかった。

もちろん下調べの際に、確実に本編である「ゲームの王国 上」と「ゲームの王国 下」もあった。 インターネット予約システムで予約もしてみたのだが、なんと私の前に28人もの人が予約しているらしく、当分読めそうにない。

つまり、本当のところ、この本に掲載されている部分が本編の何に当たるのかは、当分分かりそうもない。

小川哲さんの話は、一番最後だったのだが、まずそこから読んだ。 一番最初のフレーズ。少し引き込まれる感覚はあったが、衝撃的というほどでもなく、さらっと始まった。

ーーそうそう、小説だと最初の一文での引き込まれ具合で、その本の魅力は決まるよな。(その意味では、普通かなぁ)

どの段落もそこまで長くはなく、紀行文のような調子でだれかが綴った文章のように記されている。 段落の最初には、日付と、場所と、名前が書かれる。 語りはその名前の人物の一人称で淡々と進む。

段落はいくつかで一まとまりになっており、まとまりが終わると一人称は、なんの前触れもなく変わる。

淡々と、あまり大きな感情や起伏もなく、進んで行くイメージだ。

ただ、読みにくくはない。 文章は難解ではない。 そして、想起される世界はこの現実世界に極めて近い。(ファンタジックな世界ではない) 歴史もなぞられている(?)のかな。この辺り詳しくはわかっていないが、国名や人物名に実際にいた人が使われているし、年代も過去である。

読みながら、思い起こされるのが伊藤計劃さんの文章だ。 伊藤計劃さんだと、出だしのあたりからすでに世界観の説明でかなり頭を使わされたような気がする。

以下完全に個人的な捉え方である。 伊藤計劃さんの作品では、きっと彼の中でそもそもの世界を論理的に体系化して理解するというフェーズがあると思う。 膨大な資料や情報をインプットして、世界やその中の事象を彼なりに理解していたと思う。 その世界において、スパイスとなる新しい変化を予想する。

スパイス案は、勘とアイデアだと思う。 そこで生まれた全ての新しい概念1つ1つに丁寧に名前をつけ、それがなんたるかを深掘りする。 それが周りの事象に及ぼしうる影響を緻密に考えて行く。 影響は、幾つも重なり絡み合うと、大きな変化が巻き起こり、世界が今とは違ってくる。 要素1つ1つは、一個の技術だったり、現実世界ではありえない想像の産物だったりするが、それらが人の認知や衝動にまで影響を及ぼし、人間も少し今とは異なっている新しい世界として再構築される。

どれ程長く深い思考を続けてきたのだろうか、と途方もない思考に圧倒される。

そんな思いを持ったものだ。 この本を読んで、伊藤計劃さんとトリビュートに掲載されている作家さんとの違いを目の当たりにすることで、伊藤計劃さんのすごいと思った部分を思い出し、再認識した。

というのは、やはり思考の深さと広さと世界の再構築力のようなものだと思う。 今回の掲載作品がほぼ全て短編だからなのかもしれない。長編では作者の能力が余すところなく読めるのかもしれない。機会があれば読んでみようとは思う。

私はSFというのを、元々は宇宙とか世界が滅んだ後の人類とかそういう象徴的なものが出てくるものに限定して使われる分類だと勘違いしていた。 その後に、SF作家を目指している先輩から勧めてもらった伊藤計劃さんと神林長平さんの作品を読んで、間違っていたことを知った。 具体的には、神林長平さんの「七胴落とし」を読んだときに、「現実世界と少なくとも1つの事実が違うがゆえに、変わってしまった世界」も、SFなのだと理解するようになった。

1点だけ違うだけでも、その影響が及んだ世界は今と違い、なんなら根本的に人間という生き物が違うものになっている。 作家さんの想像(思考)を経て、世界が再構築されているのだ。 ある意味、ビジネスの世界で、今ないアイデアを考え、形にするのに、想像力を働かせるという点で似ていると思う。 今ないものを商品にし、サービスにし、仕組みにすることで、それが現れたことで世界や人間に及ぼす影響を考えつくす。

その観点からすると、確かにこの本に掲載されている作家さんの作品も全て「SF」だった。 ただ、伊藤計劃さんとの違いとしては、どこかゲームっぽい(ファンタジック)のと、思考の深さ度合いが違うように感じてしまった。 (当たり前のことであるが、消費者として勝手な評価をしており、自分でこれだけのものを書けるのかと、と言われると書けるとは思わない。)

伊藤計劃さんのすごさを改めて思い出す、という点では、立派な「トリビュート」本として機能していたと思う。


小川哲さんの作品は、まだ300ページ読んだきりでは、そこはわからない。 ストーリーは、何人も出てくる登場人物の一人称の物語が、最初はそれぞれまっすぐの線だったものが、少しずつ近付き、ある一点で交差したときに何かが始まる! というところまでだった。 この後どうなるのかはわからない。 深みを増すのか、広さを持つのか、スピードを増すのか。

でも、後を読み進めたい、と思った。

28人の人が素早く読んで素早く返してくれることを望む・・・(多分それまでに買う気がしますw)