鶏口牛後な日々

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無料パスを持つ高齢者が配達するサービス

韓国のお年寄りは、地下鉄で宅配をしている | 韓国・北朝鮮 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

韓国で無料パスを持つ高齢者が配達をするサービス

概要としては、タイトルのままだが、高齢者になると地下鉄の無料パスがもらえるそうだ。 それを持つ高齢者が、250人ほど登録していて、配達をしてくれる。 高齢者も歩く歩数が増えるなど、健康面でも良いというメリットもあるらしい。

空いている資源の活用

空いている資源を活用する、という意味で、面白い取り組みだと思ったのでメモ。 リスクは確かにありそうだ。 例えば、配達人が高齢ゆえ、途中で体調が悪くなったらどうするのか? とかオペレーションでカバー方法があるのだろうか。 あと、配達人として登録する際に、認知症や持病といった個人的なことも確認した上で、業務を達成できるかどうか判断するステップが必要なのかな。

以下は、完全に個人的な感想と、関連するアイデア

高齢者以外でも空いている人間資源はまだまだある

外国人労働者の活用が取りざたされている昨今だが、高齢者や女性もまだまだ余地があると思った。 もう少し分解して考えてみると、それぞれの集団が持っているスキルを明らかにできて、マッチングのヒントになるかも。

主婦に関しては、すでに家庭にまつわる清掃、料理、ベビーシッティングといったサービスの提供も、昨今新しい事業としてできつつある。 さらには高齢主婦層を積極的に雇うサービスなども今後増えそうだと個人的に思う。

また、まだあまりいいのを聞かないのでアイデアを出す余地があると思うのが、サラリーマンや退職者の活用。

実際に、体を動かすためにジムの代わりに朝の清掃を始めた人の話

周りの高齢者が、まだまだ動けそうな人が多いというのもあるが、「認知症予防のため」と銘打ってジムや運動に「義務的に」取り組む人の話を頻繁に聞く。 そんなに動けるなら、何かお金になることで体を動かせばいいのでは? と思う。 というのは実は私が思いついたことではなくて、実際にそれを実践している人の話を聞いた。

60代の主婦の方の話である。 お友達の中に何人も、「体を動かさないと!」という義務感からジムに通い出したそうだ。 彼女も体は動かしたいと思っていたが、ジムは結構高いと感じていたし、高いお金を払っても行かなくなってしまいそうだと思ったらしい。 あと、「なにか社会の役に立っていたい」という思いがあったそうだ。

そんな中たまたま朝カフェに行ったところで、「バイトを探していないか?」と聞いたらしい。 老眼で小さい文字を見るたびに老眼鏡が必要になるので、注文をとるなどは面倒なので、バックヤードでできる仕事はないかと聞いたところ、キッチンなどは今人手が足りているのだが、 朝の清掃 の人が辞めてしまって久しく、朝の他の担当者が客席などどうしても掃除しなければ営業ができない場所だけ頑張って清掃しているらしい。 そのため、清掃のバイトとして入ってくれる人を店側は切望している状況だったようだ。

家庭の事情で長期で休暇を取る可能性があること、あまり厳しいシフトなどは入れないことなどの条件を話しても、店側の熱烈な入って欲しいアピールは変わらなかったようで、自分の要求をほぼ全部飲んでもらう形で清掃のバイトを始めたらしい。 彼女はそれを「朝のエキササイズ」と呼んで、楽しんで続けているようだ。(もちろん、仕事なので、大変なことも0ではないだろうが)

課題は、受け入れ側と働く側の双方の考え方が変わるかどうか

人材不足の業界は多々ある。 特に我々の生活に不可欠な、食に関する業界では、若手の人で不足や、過剰労働などがニュースにもよく登場している。 活用したいという意味では、様々な業界が考えてはいそうである。

主婦よりも難しそうだなと思うのは、サラリーマンである。 熟練した技術がある人は言うに及ばず、定年までサラリーマンとして勤め上げた人は、我慢強さがあると思うし、活用したい業態はありそうだ。 ただ難しそうなのは、バリバリ働いてきたサラリーマン退職者の意識だと思う。 プライドが高くてやりたいことしかしない、とかだと、自分探し中の若者と変わらずすぐ辞めてしまいそう。 新しい枠組みでも柔軟に立ち回って楽しんでやるというマインドセットが必要だが、長年会社の歯車の1つとして働いてきた人だと、新しいことに順応してやってみよう! と思える人が多いとは思えない。

このためには、サラリーマン時代から、その人のネームバリューで個人として働ける何かを持つことや、自身の会社を持って経営者の感覚を養うことではないかと思っている。 過去にサラリーマンとして勤めた経験がありつつ、今現在自身で経営や個人事業、活動などをやっていると、同世代のサラリーマンの待遇の良さには、時折精神的に疲れが溜まっていると正直「恵まれているな、いいな」と思うこともある。 個人や起業で売上を立てるというのは、雇われていては絶対に分からない大変さがある。 この辺はまた別の機会に書くとして、そういうことを続けていると、個人の名前で仕事がくるようになる。そうなれば、「退職」というのは本当に体や精神が限界にきた時だけになり、「生涯現役」で働き続けることができる。 (もちろんやりたいかどうかは個人の嗜好によると思う。)少なくとも、「私はこういうものです」と人に自己紹介ができる。

サラリーマンを退職するということは、長年務めあげてきた人にとっては、ものすごく大きなことで、高低差のある滝を落ちるような精神的な落下(?)を経験することではないかと思う。 会社の中で雇われて働くということは、それはそれとしてとても大変なことだと思うが、会社を抜け出しても、個人で仕事や活動を続けられる人は、たくさんではないと思う。 続けられない人が、働き続けるには、シルバー人材センターで庭掃除とかそういった基本的な技能のみが必要とされる職になってしまうのだと思う。 (誤解のないように添えておくが、シルバー人材センターや、そこで働く人を卑下するつもりでは決してない。)

受け入れる側も、週1や2といった働き方や、一日数時間といった仕事の切り出し分業みたいなことがもっと上手くなって、うまく能力のあるたくさんの人をちょっとずつ使う術を身につける必要があるのだと思う。 その意味で、クラウドワークスやフリーランサーといったマイクロな仕事の発注形態が増えているのは、今後高齢者の働く場所の提供にも繋がって行くのだろうか。

シェアリングエコノミーの人財版で国も地球も嬉しい世の中に

車や家、場所、自転車などのシェアリングが進んでいるが、人間も立派な資源(リソース)である。 そのスキルの「空き」をうまく活用することで、国内・地球内の資源の最適活用が進んでいけばいいと思う。