鶏口牛後な日々

心の赴くまま、やりたいことを仕事に。

自分では気づかない、心の盲点 / 池谷裕二

f:id:TACOSVilledge:20181101140027j:plain

概要

認知バイアス」という人間の脳のクセをクイズ80ケースに渡り、クイズ形式で説明する。 読者は、クイズを解くか、心理テストをするような気分で、読み進めることができる。 クイズについて自分の考えを持ち、答えを読むと、自分の脳がクセのせいで真実を歪んだ形で認知してしまったことを眼前と突きつけられるというわけだ。

ヒトはみな偏屈です。自分に都合よく世界を認識します。そうしなければヒトは考えることができないからです。  つまり、「歪める」という偏見フィルターは、私たちにとっての心であり、「考える」というプロセスそのものです。だから、脳に偏見があること自体は罪ではありません。クセは成熟した脳のデフォルトです。そして偏見は生きることを楽にしてくれます。

しかし、それによって摩擦が生じてしまう場合もあり、クセを知っていることで余計な衝突を避けることができると筆者は述べる。80もある中で(実際にはそこに掲載しきれなかった認知バイアスは巻末に索引の形式で掲載されている。つまり認知バイアスという括りでは、枚挙にいとまがないということだろう。

ただし、読み進める中で、類似するケースもあり、また、特に自分という人間にそのクセが強くあると意識することや、ギャップを知って特に驚いたものなどをピックアップすると多少の傾向が認められるような気がした。感想では私が特に印象に残ったバイアスを取り上げたが、実際にこの本を読んでみて、各自で自分のクセを意識してみてもらうと違いがわかって面白いと思う。

著者の池谷裕二さんが書かれているように、この本は自分のクセを折に触れて思い出し、自分を律する時の参考書として、手元に置いておきたいと思った。

特に印象に残った思考の「クセ」:脳は正当化が大好き

  • 脳は自己の正当化が大好き。逆に人を過小評価する。(ルサンチマン、非対称な洞察の錯覚、認知的不協和、根本的な帰属の誤り、ダニング・クルーガー効果)

だった。

脳の正当化は、私自身よくやっていると思う。読後に街に出てみると、色々な事象の端々で脳のクセが意識されて面白い。例えば、バスでうるさく喋っているおばさん3人組がいたとしよう。彼らは、自分たちの周りが「うるさいなぁ」と思っていることを知らないだろう。「自分たちはちゃんとしている」と思っているのだ。きっと「自分たちはちゃんとしている」と思っているのだと思う。

そうこうしているうちに私自身が、「根本的な帰属の誤り」*1に陥りかけている。つまり、「うるさいおばさんたちは、すぐ自分を正当化する」と結論づけている。クラスタリングや、人について「こういう人だろう」と評価すること自体が、脳のクセは、日常に毎日のように発動していると思った。

脳の闇は深い:自分の考えと思っているものは錯覚

  • 自分の考え! と思っているものは結局錯覚(自由意志錯覚)

巻末で紹介されるのが、「自由意志錯覚」なのだが、これを最後に持ってくるという終わり方は面白い! と思った。

意思はあくまで脳の活動の結果であって、原因ではないということだそうだ。これがもう証明されているらしい。いろんな思考の「クセ」を説明したあとで、「意志なんて所詮脳活動の原因ではなくて結果ですよ」と言い放たれて本が終わるという。読んだ瞬間、茫漠とした宇宙か深くて暗い海に投げ出されたような気分だった。自分の意思で動いていると思っていても、それはただの電気信号の結果。自分の思考の「クセ」を意識して、今後の意思決定の足しにしよう、という考えなんかあまり意味がないってことでは??? 自分の「意思」に重きをおいていたのがばからしく思えてくる。

そして、そうなると、もうなんでも行動あるのみ! 悩みなんてとりあえず気分転換して忘れるべし! 自分の思い込みも忘れるべし! という気になってくる。

思考の「クセ」なんて、ちょっとしたスパイス程度に考えているのでちょうど良いのかも・・・。

不思議な示唆を得られた。ぜひ読んでみてどう感じるか共有してほしい。

*1:1つの事象を過去のことと結びつけて類型化しがちである誤りのこと。